白金イリジウム探針の電界研磨作製法と問題点, version 1.0
高見 知秀, February 25, 2009
1. なぜわざわざエッチングして探針を作るの?
白金イリジウムを走査トンネル顕微鏡の探針として使っている人の多くは、ニッパーで切ったままのものを使っています。タングステン探針作製法の序でも書いたように、平坦な表面の顕微鏡像を撮る場合にはそれほど問題になりません。ところが、平坦な下地に嵩高い試料(例えばDNAのオリゴマー)をつけたものを、ニッパーで切断して作製した探針を使って観察すると、次に示すような像が取れることがあります。
同じ形状をしたものがいくつも観察されています。実はこれがゴースト像です。
更に、段差のある表面(例えばグラファイト)を観ると、次に示す像のように段が多重に見えることもあります。
こういう探針は得てして状態が不安定なことが多く、上記の像では横ラインのノイズがいくつも入っています。こんな探針では、せっかくきれいな膜試料を作製しても、その膜をすべて引っ掻いて壊してしまうので、下地だけが見えて肝心な試料を観察することができません。
それでも白金イリジウムの探針を使っている人には「それはニッパーで切断するときのやり方の問題。切るときには斜めに、少し引っ張るようにして、そして切断した瞬間の音を聴いて、周波数の高い切断音がでればOK。ニッパー切断のとき切断面の汚れが気になるならバーナー、できれば水素バーナーを瞬間的にくぐらせれば十分。」という人もいます。実は私もそうでした。ところが、そうやって注意深く切断した探針で撮った結果が上に示したものです。探針と試料との間にかける電圧を変えながらトンネル電流を計測する走査トンネル分光になるとさらにひどくなります。残念ながら私の実験の腕前では、ニッパー切断探針で上記のような像を完全に避けることができません。これは最近特に痛感していることなのですが、難しい実験で実験者によって結果が左右されることは往々にしてあって、世の中で最初の実験ならそれも仕方がないと思いますが、その先に進むには実験者に左右されない再現性がないと、その結果を土台にして何かをすることはできません。つまり、タングステン探針作製の章の最後にも書いたように、走査トンネル顕微鏡において最も重要な要素である探針が人によって出来たり出来なかったりするというままではいけない、と私は考えています。
そこでここでは、走査トンネル顕微鏡のための白金イリジウム探針を、出来る限り再現性よく作製するための方法について、私が現在のところ行っている方法とその問題点について書きます。
2. 私が行っている白金イリジウム探針作製法
電界研磨によって白金イリジウム探針を作製する方法はいくつかの論文報告がありますが、私が選択した方法とその理由について最初に述べます。
まずは使う電源の種類ですが、直流では白金イリジウム線が溶ける代わりに他の電極が溶ける、または全く何も起こらないという結果しか得られませんでした。これについては、まだ検討の余地があるのですが、現在のところ直流でうまく研磨できる結果を得るには至っていません。これに対して交流では、より電流が流れやすく、電極付近の溶液組成が変わりにくいという利点があり、研磨できる条件を見出すことが容易でした。しかし、タングステンでの研磨のところでも書いたように、交流研磨の欠点は気泡が研磨する線側に発生しないようにすることが困難だという点があります。このため、私が得た研磨結果ではタングステンのものと比較して研磨面が荒れていて、歩留まりもタングステン探針と比較すると良くない結果になっています。しかし、ニッパーで切断した探針よりは安定した測定結果を得ています。研磨面の改善方法については現在、下記に示したものと異なる溶液を用いた実験を行っていて、研磨面が改善される結果を一部得ていますが、この改善された探針が走査トンネル顕微鏡での使用に有効であるかどうかについてはまだ検討中です。この研磨面平滑化については、結果がまとまり次第報告する予定です。それと交流の種類ですが、ここでは簡便にスライダックによる電圧制御のみを行い、周波数や波形の制御は行いませんでした。これについても後日実験検証をしていく予定です。
次に溶液についてですが、ここでは食塩を選びました。簡単に入手できて安価なうえ、今のところこれより良い結果が得られる溶液が見つかっていません。シアン系の溶液は諸々の問題があるので除外しました。塩化カルシウムと塩酸を用いる方法もあるのですが、特に食塩の場合よりもよい点はみつかりませんでした。白金と錯体を形成する化合物、例えばチオ尿酸を用いる方法も検討していますが、研磨面の改善はみられるものの、顕微鏡像の歩留まり改善についてはまだ検討の余地があります。これについても結果がまとまり次第報告する予定です。
それでは白金イリジウム探針の現状での作製レシピを以下に書きます。
1) 白金イリジウム線(直径0.01インチ)を電極(ステンレス)にセットします。
2) 2規定の食塩水溶液を水槽に入れて線の大部分が浸るようにセットします。
3) 対向電極をセットします。対向電極にニッケルのリボンを使っても可能ですが、ここではタングステン探針作製のときと同じカーボン棒にしました。ニッケルリボンの場合、研磨終了後にリボンに付着した黒い汚れを取るのが難しく、次の研磨時の再現性を考慮するとカーボン棒のほうが容易だと判断しました。ネットで調べたところ、白金の研磨の対向電極にタンタルを使えばタンタルが腐食しない、という情報をみつけたのですが、実際に使ってみたところ下図のように茶色の汚染物が溶液表面に浮いてきて表面を覆いつくしてしまい、結果として研磨はできませんでした。
4) 電流計と電圧計をセットします。研磨時の電流条件モニターは再現性の高い探針作製に必須です。異常な研磨電流値が得られた場合には、ほぼ間違いなく探針の形状に影響が出ています。
5) まず、白金イリジウム線の表面を清浄化するために、7ボルトの交流を瞬間的(1秒以内)流します。これで白金イリジウム線表面に気泡が発生し、表面が清浄化されます。
6) 白金イリジウム線をいったん水槽から引き出してから再び線を液面に近づけていきます。液面に到達したところから1ミリほど液中に入れます。これで液面から1ミリほど白金イリジウム線が液中に浸った状態になります。
7) 電圧を25ボルトにセットして電極に交流を印加します。すると気泡のはじける音(てんぷらを揚げるような音)がしてエッチングが始まります。開始時の電流は200~300
mA程度です。
8) 音の変化に注意しながら待つと、15分程度したところで音が変化していき、次第に小さくなります。ここで電流計をモニターして、電流が瞬間的であっても70
mAを切ったところで交流電源を切ります。これよりも電流が小さくなるまで待つと、電流がゼロに落ちて研磨がこの条件で終了してしまい、探針先端が丸まってしまう場合があります。この場合は、また1ミリほど線を突っ込みなおして研磨をやり直してください。またこの停止操作が早すぎると、次の工程にかかる時間が長くなってしまいます。
9) そのままの状態で交流電源の電圧を3ボルトに変更して、再び研磨を開始します。この電圧を下げることによって研磨の速度が遅くなり、探針先端の研磨が比較的滑らかになります。
10) エッチング後の白金イリジウム線の表面を清浄化するために、線の大部分が浸るようにセットしてから交流電源の電圧調整つまみを廻して1秒以内で0ボルト烽Vボルト烽Oボルトとなるようにします。これで白金イリジウム線表面に瞬間的に気泡が発生し、線の表面に付着した黒い汚れが落とされます。もしこの汚れが落ちない場合は再度行うが、この行程を数回以上行うとせっかくの探針先端が丸まってしまうので注意します。
11) 作製した探針をピンセットで取り出して、水ですすぎます。予め水の入ったビーカーを3個用意して、これで順次すすげば十分です。このすすぎが不十分ですと、後で食塩によって腐食されてしまいます。
4. 作製した白金イリジウム探針の数々
成功例のひとつ。昔ニッパー切断で作製した探針よりもよい顕微鏡像をこの探針で得ることができました。
3ボルトで最後の研磨をする前に、線の位置を0.1 mm上げてみました。先端が延びたのですが、逆に顕微鏡像は不安定になりました。
更に0.1 mmつまり0.2 mm引き上げてから最後の研磨をした場合。溶け切らなかった先端が残ってしまいました。
更に0.1 mmつまり0.3mm引き上げてから最後の研磨をした場合。これはこれで別の用途があるかもしれません。上記の引き上げ結果と同様な結果が1995年に既に報告されています。(西山ら、電気化学 No.3, pp.230-233 (1995).)
食塩溶液で研磨した針を、チオ尿素・リン酸・グリセリンの混合溶液で交流25ボルトを10分かけて更に磨いてみました。ざらついていた研磨表面は滑らかになったのですが、探針先端が丸まってしまいました。
それではと、チオ尿素・リン酸・グリセリンの混合溶液で初めから電界研磨してみました。溶液の粘性が高いため、線の付け根から細くなってしまい、先端も丸まってしまいました。
食塩溶液をけちって、通常30 mlのところを20 mlにして研磨した結果。研磨面がより荒れてしまいました。
5. さいごに
この白金イリジウム探針作製法は、まだ発展途上の段階で、より良い方法をまだ探索中です。特に研磨面をタングステン線直流研磨のときと同等なレベルにもっていきたいのですが、これが顕微鏡像の歩留まりにどう影響するのかもまだわかっていません。